10歳のカメラ
10歳のカメラを買いました。
2013年生まれのOLYMPUS XZ-10。中古で2万円くらい。メインの一眼がOLYMPUSなので同じ会社で、とにかく小さくて見た目も好きなカメラを探してこの子にしました。うれしい。とてもいいです。嬉しくて、雨だったけど、カメラを持っていつもの喫茶店へ行きました。
まだピクチャーモードを少しいじっただけだけど、やっぱりしっくり。喫茶店に着いてからデータをスマホで見て、うんうんと頷きました。よかった。
今週は仕事がうまくできなくてとても落ち込んでしまったし、月曜日が憂鬱だけど、一生懸命にやった結果ならどんなものでも受け入れること。
とか考えていたら雨の外出に疲れて眠ってました。水菜をモサモサ食べてのんびりします。
新入社員
新入社員がいっぱい入った。みんなのスーツや挨拶やお辞儀を眺め、自分の1年前の姿を思い返したりして、気持ちが動いた日だった。
何よりも仕事が1年続いたこと、まだ続けられそうなことがすごいなぁと思う。気持ちの弱い私には、会社員は無理だろうなと思っていた。1年間を過ごし、怖い思いをしたりウッと心が縮こまることはあったけど、少なくとも職場で泣いたり、頭が真っ白になったりすることはなかった。
なんでかなあと思い返して、やっぱり、まだ他人の人生を見学に来ているような気持ちだからだろうなと思った。自分らしくないなぁと感じる嫌なことをしなきゃいけない場面でも、体の傍に自分をふわりふわりと浮かべ、本体は求められている通りに振る舞えば、自分の大切な中身は嫌なことをせずに済んだ。
そうやってなんとか生き残った。
私の職場は、歳の離れた上司が3人、歳の近いなんでも知ってるお姉さんが1人。みんな優しくて、いい人ばかり。おまけに可愛い同期たち(6歳年下)が3人、広大な海と山、広い家がある。
仕事は嫌なこともあるけど、自分の中身は染めずに浮かべておく。食べられるものを食べて、しっかり眠ることが大切。
社会人一年目で学んだこと。
ペールブルーのスイッチ
爪の色が気にいると心が落ち着くのは、いつからの感覚だったかな。
数日間作っていたものをボツにしよう、と決めた昨日の夜。
”作りたい”という気持ちの割に手先が不器用な私は、昔からこういうことがたくさんあって、頭の中で思い描いたことを満足のできる形でそのまま生み出せる可能性はいつも低いんです。
考えて考えて、考えて楽しくて、作ったら思っているのと違って、それが辛くて放り出して・・・スッキリとする一方で、自分の才能のなさに悲しくなって、考えるのをやめてしまう。
そんな時、大抵うまくいくのが爪を塗ることで、昨日の夜も自分の爪を薄い青色にしました。
色を正確に伝えたくて調べたら、勿忘草色というのが一番近いですね。明るい水色に少しくすみがかぶさったような、素敵な色です。
うまくいくこと、私にとっては爪を塗ることが、「なんだあ、意外とできることあるじゃん」と思えて、新しく考え始めるスイッチになるんです。
たったそれだけのことだけど、私にとってはひとつ、これからも大切にしていきたい習慣です。
考えてみれば、はじめてマニキュアを塗った時、下手くそですぐ落としたっけな。
そうやってスイッチはだんだん増やしていくものなんだろう。
ここの更新もスイッチになればいいなと、いそいそと書いている今日この頃であります。
一月第三土曜日、日曜日。
なんで毎年この日には雪が降るんだろうね。
土曜日、電車に乗りながら不思議な気持ちになりました。
いつもより混雑が予想されますと聞いていた電車は、いつも通りの土日の混雑です。
高校を卒業し、2年間浪人をして、学生になってから2年が経ちました。
みんなで決められた時間でページをめくっていたのが、
ひとつの本を読み切って、もう次のページがないような……
かと言って一冊前には戻れないような。
そんな宙ぶらりんで、努力は報われず、結果は伴わず、周りはどんどん進んでいって、
私はどこに行くの?って、不安になっていたあの頃。
結局大学が全てで、判定が全てでしょうって、その時にはそう思うしかありませんでした。
それが新しい本の1ページ目だったことに気がつくのは、沢山の時間が経って沢山のページを読み進めてからだと思います。
嘘だと思える常識も、次の本の目次のように、
ページを進めればその意味がわかるからくりです。
日曜日、今日は晴れましたね。
全科目受けて笑顔で終われる人の方が少ないから、
みんな体だけ無事で行って、無事で帰ってきてね
帰りのバスで泣いていいから、って思ってます。
長い1日、おつかれさまでした。
ハーゲンダッツたべよ。
Makuake
2019年大晦日、晴天、少し早く起きて星野源を聴くことから始めました。
バイトを納め、電車に乗り、いまは家族の待つ家へと向かっています。また星野源を聴きながら。
今年が終わると言うだけで、いつもよりも歌詞に耳を澄まし、それらがすんなりと頭に入ってくるのは何故でしょうか。わからないけれど、大晦日はいつもより少しだけ素直になれます。
上京してから2年が経とうとしています。
1年目には全てが新しくて怖かったものが、2年目は自ら見つけたドキドキがありすぎて、緊張したまま色々に立ち向かった1年でした。未だに渋谷の駅名を見たら東京に来たとドキドキするし、スニーカーで歩ける冬に戸惑います。
新しい人に出会って、頭の中にその人のスペースを開ける途中で、自分でも無意識に考えや好みが変わっていきました。
今までの私が簡単に作っていたものが作れなくなったり、書けなくなったり、撮れなくなったりしました。
きっと、誰かと一緒にいる意味は、私にしか考えられないもの 作れないものに対してではなくて、だれかと共有することで生まれるものだと思います。
いまは、私1人では作ることのできなかったものを作れるのだと、だんだん気づいてゆく。
きっと、全てにおいて。
2020年って、キリが良くてドキドキします。ドキドキしすぎて2019のままでいいやと思うくらい。
あ、いま、week endが流れてきました。喉の奥の方からドキドキ。
電車に乗る人の多さに、これから出会う人々の多さにドキドキ。
あぁ、今日のご飯がきっと美味しく温かいのだと思うと、またドキドキ。
2020年、 一つ一つのときめきに素直に、丁寧に、時間をかけて迎えようと思います。
2019.12.31 幕開け
能代
久しぶりに能代に帰りました。
久しぶりって何年ぶりかと、母と数えながら向かったのですが、おそらく6年ぶり?
母がこの地元を出た年齢はとっくのとうに追い越して、言うなれば私を生んだ年齢に近いのだと、頭の中でぼんやりと考えながらの滞在でした。
小さな頃の私がとても遠く感じたお寺さんも、海も山も、21の私にとっては案外近くて、「こんなに小さな町だったかな?」と。
シャッターが閉まりっきりで静かな町。
大好きだったかき氷屋さんはもう無かったし、きっとあのシロップをかけてくれたおばあちゃんはもういないんでしょう。
それでも海は美しく、神社は相変わらず虫だらけで、滝も緑もキラキラと輝いていました。
祖母も母も忘れっぽくなって、私は成人したけれど、能代に帰れば私は孫で、いつまでも可愛がってもらう側なんだろうな。
あんなに美しい田舎に生まれて、出ると決めて、札幌を選んでくれた母には頭が上がりません。
母の妹に似てきたらしい私をみて、「能代の血が濃いんだね」と祖母は言いました。
たくさんの人に埋もれて私はここにいます。東京で頑張ります。
また来年帰ります。